遠山記念館 ~そこにあったのは母への愛・建築や美術への真心~
川島町の田園風景に佇む「遠山記念館」
立派な門をくぐると、日興證券(現・SMBC日興證券)創立者である遠山元一氏が建てた、遠山邸と美術館が迎えてくれます。
川島町で生まれ育った私にとって、幼少期に見た大きな雛壇が印象に残っていましたが、昨年、町の魅力をもっと知ってみようと訪ねたことがきっかけで、すっかり遠山記念館のファンになりました。
今回、公益社団法人 遠山記念館 副館長の久保木 彰一さんにご案内していただき、元一の母への深い愛情と、建築や美術への真心がたくさんつまっていることが分りました。久保木さんが教えて下さった遠山記念館の隠れた魅力と、私が感じたことを、ここにまとめたいと思います。
母への愛がつまった遠山邸
明治生まれの遠山元一(1890-1972)。幼少期に父の失態で生家を手放すことになり、無一文になった元一は、再興にむけて16歳で東京へ丁稚奉公に。その後、小さな会社からスタートし、47歳の時に、苦労した母・美以の住まいとして建設されたのが遠山邸。昭和11年(1936年)に建てられ、平成30年(2018年)には、国指定重要文化財に指定されました。
邸宅は、東棟・中棟・西棟から構成されており、見学は東棟の立派な茅葺き屋根の家から始まります。これこそが、母の為の再興の象徴。梁や囲炉裏、神棚があり、懐かしい日本家屋の風景がありました。また、庶民の家屋とは違う奥ゆかしさも感じました。
表玄関は、主である元一とお客様用の玄関なのだとか。昭和15年に朝香宮様、戦後には元内閣総理大臣 吉田茂の来訪もあったそうです。見学の際は、表玄関から中に進む前に、後ろを振り向き、くぐった門を眺め想像してみて下さい。アメリカ車に乗った元一やお客様がロータリーを通って玄関先で降りる様子を。
廊下で繋がった中棟は書院造りで、18畳の応接間があります。ここに座り、大きな窓から庭園を眺めていると気持ちがほぐれます。私のお気に入りの場所です。隣接した次の間という部屋では、3月と5月に立派な節句人形が畳一面に展示されます。私はこの節句の時期以外に訪ねたのは今回が初めてだったので、何もない空間というのは新鮮でした。と同時に、戦時中はこちらで結婚式が執り行われていたことを知り、各節句で飾られたお子さん達の成長を見守る元一の、父親としての想いが伝わってくるようでした。
そして西棟は、茶室が印象的な数寄屋造りで、美以の居室がありました。中棟から続く渡り廊下の入口にて、「下がっているのを感じませんか?」と久保木さん。確かに。中棟と西棟は高低差があるとのこと。それは、武家スタイルという中棟の格式からの謙虚さだけではなく、カーブを描くようにスローブになっており、母が歩きやすいようにと、今でいうバリアフリーが施されていました。
また、私はてっきり、元一さんと家族も住んでいたと想像していましたが、元一は東京での仕事が中心だったので、美以さんのみが住んでいたそう。これだけの豪邸に母一人で住まうには寂しいし、手入れもあり大変ということで、使用人が7,8人いたそうですが、親戚や知人といった信頼ある人が担っていたとのこと。ここにも母の安心感を配慮した様子が浮かびます。
建築や美術への真心
旧邸宅はどこの地域にも存在しますが、遠山邸ならではの特徴を伺ってみました。その地域ならではの建築による建物というより、東京の近代建築、高級和風の建物であることを教えてくれました。
全国から銘木を取り寄せ、東京で大邸宅を建てた実績のある建築家や職人を呼んで建てられたとのこと。手抜きなしの伝統技術が結成された邸宅は、茅葺き屋根や畳の新調以外は増築改造がほぼ無いそうで、当時にタイムスリップしたかのように綺麗に保存されています。
美以の居室近くにあるトイレの壁は、朱に近い紅色が特徴ですが、左官職人が納得できるまで任せたのだとか。きっと他にも至るところで、職人達がさぞ気持ちよくご自分の技術を発揮した証が邸宅のあちこちに残っていると思うと、私の好奇心が高まっていきました。
国産のみならず、日本庭園を眺める大きな透明度の高い窓はアメリカ製。第二次世界大戦前、船で東京湾まで運んだ後は、荒川を河川運搬して、大勢の人手で堤防を越え現地まで運んだそう。今では整備されているものの、当時は舗装されていないガタガタ道。建築への拘りや本気度が伝わってきます。
「建築様式の違う3つの棟がちぐはぐにならずに一つにまとまっているでしょう。」と久保木さん。言われてみると、建物内を見学していると、まるで一つの屋敷の中にいるような感覚。でも、外から眺めると明らかに3つに別れています。「総監督の弟 芳雄、設計士、棟梁のセンスがピタッとはまった建物なんです。」に、胸に熱いものが込み上げてきました。
美術館にも元一の面影
遠山元一のコレクションを中心とする収蔵品は1万3千点あるという驚き。世界各地の古代から近代まで幅広い美術品や工芸品など、中には重要文化財に指定されている作品もあります。毎年度6つのテーマを設け展観スケジュールが組まれており、今回訪ねた際は『コレクション展1』(6月1日~9月1日)として、日本陶器や近代絵画、日本染織が展示されていました。
この美術館にも元一の人柄があふれていました。例えば今回展示の陶器。元一の趣味はゴルフだったそうですが、茶道が趣味である妻の茶会で実際に使用された作品もあるそう。籠は邸宅で花を生ける時に、300本収蔵されている掛け軸も季節やお客様に合わせて邸宅に飾られていたそうです。こういうお話を聞いた上で鑑賞すると、別の見方や楽しみ方もあると感じました。
観覧の際は展示物だけではなく、美術館の建築や装飾にも注目してみてください。名建築家・今井兼次氏により、元一の想いが表現されていました。一見日本風に見える外観。中に入ると、さりげなく素敵なステンドグラスが装飾されています。キリスト教(プロテスタント)を信仰していたのだとか。そして、ロビーの天井をご覧ください。そこには元一の母をイメージしたフレスコ画があります。その近くには元一の兄弟をイメージしたフレスコ画も。
元一の遺志を継ぐ人々
最後に、今回、久保木さんにご案内いただき、それまでの訪問の何十倍も面白く楽しいひと時となりました。優しい雰囲気で丁寧に説明して下さる久保木さんは、こちらに務め30年以上になるそうです。
美術館窓口で配布している『遠山記念館だより』内にある久保木さん執筆の記事から、本職とはいえ、美術品のみならず遠山邸の建築に関する研究を熱心に取り組まれている様子が伝わってきました。まるでホンモノを追求してきた元一のよう。久保木さんから読者の皆さんへのメッセージとして「プロの職人も来ますが、毎回新発見があると言ってくれます。気になったことがありましたら、何でも聞いて下さい。」と預かっています。
元一の遺志に、“家屋や美術品を私有私蔵すべきではないとの観点から、研究参考資料に供し、ひいては教育の振興の一端を担おうとするものであります”とありますが、それを体現しようとしている久保木さんでした。
建築や美術にそれほど高い関心がある訳でもなかった私が、何度遠山記念に訪ねても飽きない理由として、毎回新しい発見があるからです。久保木さんによると、「邸宅に展示している掛け軸は、お客様にどういう風に楽しんでもらおうか、季節や庭との調和などを考え選んでいます。」とのこと。毎年同じ節句人形でも、部屋の掛け軸が変わるだけで、新鮮さがありました。美術館での展示テーマも、干支や大河ドラマなど時期や世間の話題に合わせたテーマも設けており、興味がわいてきます。こういった工夫を久保木さんはじめ、職員の方々がして下さっているのもまた、元一の想いを継いだ、お客様をお迎えするおもてなしの真心があるからこそと思います。
『子の日図屏風と宮廷文化』展2024年3月20日~5月19日
いかがでしたでしょうか。魅力がたくさんあり過ぎ、ここにまとめたものは一部です。ぜひ実際に足を運んでいただきたいです。そして、ぜひボランティアの方に案内を依頼してみて下さい(要予約:火曜日、土曜日)。私自身も、まだまだ隠れた魅力が眠っていると確信していますので、その折りにまたご報告できたらと思います。
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公益財団法人 遠山記念館
埼玉県比企郡川島町白井沼675
TEL:049-297-0007 FAX:049-297-6951
開館時間 午前10:00~午後4:30(入館は4:00まで)
休館日 月曜日(祝祭日の場合は開館、翌日休館)、展示替期間、年末年始
入館料 大人800円(640円)学生600円(480円)
*中学生以下は無料、()内は20名様以上の団体料金
*ボランティアによる案内は、火曜日と土曜日のみです。事前にご確認をお願いします
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川島町地域ライター 笛木 由美