大河ドラマ『鎌倉殿の13人』比企氏ゆかりの地~歴史を伝承する金剛寺~
趣味は「歩くこと」。生まれも育ちも川島町、生粋の川島っ子!地域ライターの笛木由美です。
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今回は、比企氏とゆかりが深い金剛寺さんにスポットを当てます。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はご覧になっていますか?
川島町は、佐藤二郎さん演じる比企能員氏とゆかりの深い地でもあります。
川島町の住所は「埼玉県 比企郡 川島町」と、町名の前に「比企郡」がつきます。私は、お恥ずかしながら、町内で『鎌倉殿の13人』が始まると話題になるまで、その由来を気にもしていませんでした。
しかし、今は「“比企郡”の川島町」と比企郡に生まれ育ったことを誇りに思います。そのきっかけを下さったのが、川島町中山にある金剛寺の住職 永井真也さんです。
今回は、金剛寺のご紹介だけではなく、歴史の伝承者としてご活躍されている永井住職にもスポットをあててみたいと思います。
金剛寺と比企一族の歴史
鎌倉時代(1192年)より続く、真言宗智山派 清月山元光院 金剛寺は、比企家の館跡としても知られています。
本堂
※御本尊の阿弥陀如来像は川島町指定有形文化財に登録。https://www.town.kawajima.saitama.jp/1351.htm
武家政治が始まり、鎌倉幕府を開いた源頼朝ですが、頼朝の乳母となったのが比企能員の養母である比企尼です。川島町から物資を運んでいたことや、比企一族が金剛寺周辺で暮らしていたことが伝えられているそうです。
それを裏付ける物として、金剛寺を建て替えた際に平安時代の陶器の破片が発掘されたと住職がおっしゃっていました。
鎌倉にある妙本寺にも比企能員他の墓がありますが、ここ川島町の金剛寺も、菩提寺として、15代則員より、義久、重久、久員をはじめ、歴代の墓があります。
比企一族は、比企尼だけでなく、鎌倉殿を支えた比企能員、そして能員の長女は、2代将軍源頼家の妻 若狭の局であり、鎌倉時代の功績に深く結びついています。
また、源頼朝の死後、比企一族の勢力を恐れた北条一族により滅亡されたという歴史もあります。能員は、当時の信濃や上野(コウズケ)(群馬)の守護として治めており、広大な土地を有する一族であったことを考えると、北条一族が恐れるのもうなずけます。
滅ぼされていたという比企一族、ではなぜ金剛寺に以降の墓が?
実は、幼かった者と体内にいた者がいたそうで、その中の一人が、金剛寺の比企として続いているとのこと。
大日堂
※大日堂は比企氏の位牌堂となっていて、登録有形文化財。
比企氏墓所
比企一族の歴史を伝承する永井住職
「せっかく金剛寺に来てくれのるなら、比企一族の歴史を知ってほしい」と話す永井住職の熱意は、気持ちだけに止まりません。時間が合えば、本堂にてその歴史をご説明して下さいます。
私が伺った際は、時間に余裕もあったこともあり、ありがたいことに、比企一族にまつわる資料をいろいろと見せていただき、深い話をたくさんして下さいました。中には、家系図や1979年の大河ドラマ『草燃える』のパンフレットもありました。この作品も、源頼朝を中心とした武士達が描かれているそうです。名俳優たちの若かりし頃のお写真が。ちなみに、この作品での比企能員役は佐藤慶さんです。
永井住職のご活躍は、町民の教育にも貢献されており、地元の小学生を金剛寺に招き、歴史を伝える授業もされています。見て・聞いて、感覚を研ぎ澄ましながら学ぶ訳ですから、「川島町の歴史を知って、地元を好きになってほしい」という永井住職の願いは、きっと子ども達に届いていると思います。「修学旅行は鎌倉に」とご提案もされたそうですが、この流れで、鎌倉にて修学旅行ができたら、本当に良い歴史の授業となりそうですよね。
金剛寺の周りには、住宅が建ち並んでいますが、東側はまだ川島らしい田園風景が見えます。昔は館周辺が田畑で囲まれていたそうですが、比企一族が、当時どのような景色の中で暮らしていたのか、実際に金剛寺に訪れ、想像してみてはいかがでしょうか?
その際は、ぜひ永井住職から直接お話を聞いてみて下さい。知れば知るほど、まだまだ知らない比企一族の歴史に出会えます。
今後『鎌倉殿の13人』の中で、比企氏がどのように描かかれていくか楽しみです。いつの日か、比企一族を主題とした大河ドラマが製作されることを町民として願っています。
真言宗智山派 清月山元光院 金剛寺
所在地:埼玉県比企郡川島町大字中山1198